『自然は無駄なことを何一つしない空虚な部分や無駄な空間を満たすべく作られたものは何も無い』 -ブラウン「医者の宗教」-
スペインがフィリピンに対して領土宣言を行った瞬間、東南アジアは激動の時代を迎えた。
西洋人が持ち込んだ新しい文化は、遠慮無く元からあった文化を侵食していった。彼らは今でこそ沿岸部から先へは進んでこなかったが、やがて山間部へ踏み入ってくるのも時間の問題だった。
その足音を感じつつ、迫る西洋列強から隠れるようにひっそりと山間部で暮らす集落がある。
彼らは先祖代々風を奉り、自然と共に生きてきた人々だった。彼らの考えからすれば、風は世界を巡る血液のようなものだ。
タリムはそんな時代、その集落の霊媒士の家系に生まれた。彼女は徐々に進む西洋化と共に風信仰と霊験が弱まっていくなか、「最後の巫女」として育てられる。そしてタリムは、その資質ゆえに生死の境を彷徨うことになる。
彼女はいつもと同じように風を読んでいた。幼い頃から毎日続けてきたことだったが、その日はいつもと様子が違った。いつも自然の囁きに混じって聞こえる遠く離れた町々のざわめきの代わりに、全てを飲み下すような邪気が運ぶ悲鳴と絶望と狂気の記憶。
いたるところで同時に起きているであろう惨劇が、本人が理解する間もなく一気にタリムの中へ流れ込んできたのだ…!
…それは遠い西方の地で、「イヴィルスパーム」が起きた日のことだった。
その場で倒れこんだタリムは、そのまま数日間意識を取り戻すことなく眠りつづけ、皆が諦めかけた頃になってようやく目を開いた…。その瞳は深い悲しみで満たされていた。
わけもわからず、彼女は泣いた。
その後、彼女が15歳になる頃には集落で行商人や探検家など西洋人の姿を見る機会も多くなった。
ある日そんな西洋人の一人によって村に持ち込まれた「活力のお守り」。
その珍しい金属片を見た年寄り達は、口々に危険を唱えた。
風を読む彼らにとって、これらの気は本来の位置役割からずれているがために、周囲に良くない影響を及ぼす悪しきものであった。
タリムは瞬時に、その金属片からあの邪気と同じものを感じとった。
…この破片を本来の位置役割へ戻さなければならない!
破片を持って旅に出ようとする彼女を止めようとする年寄り達。彼らは「最後の巫女」が集落の外部と接触し、その純粋さが失われるのを恐れた。だが、彼女の両親は違う考え方を持っていた。
彼らは逆に、娘が様々な体験をすることで自然に対する純粋さを高める事を望んだのである。
集落が峰の向こう側へ消えたころ、タリムは自分が持つ金属片と同様の邪気を発している存在が世界中に点在しているのに気が付く。
大陸を越え、海を渡る風が邪気を運んでくるのだ。だが、このような気を風が運び続けていては、遠からず世界は病んでしまうだろう。
おそらく同じような破片が散らばっているのだ。そしてそれらは自分が出会った破片のように、今も人の手によって世界中に広がっている…。全ての破片を集めて、その「本来有るべき場所」を探し出す必要があった。
これまで集落の外を知らず、初めて広い世界に出た彼女だったが、風を肌で感じることはどこでも出来た。風が吹く限り、たとえ長い長い旅をすることになっても不安になどならなかった。